お葬式の歴史

人類最初の葬儀

葬儀の歴史人類最古の葬儀の遺跡は、なんと6万年前のネアンデルタール人の洞窟で見つかったそうです。洞窟の中の人骨の周りから、その周辺には無かったはずの花粉が見つかったことで、死者を弔うために花を死体の周りに添えたと分かったのです。

最古の葬儀

日本の葬儀

日本では、どのような葬儀がされてきたのでしょうか?

古くは、日本最古の書物と言われる「古事記」 (712年)に葬儀の記録があります。亡くなったアメノワカヒコ息子のためにアマツクニタマノカミは喪屋を作り、川雁(かわかり)、鷺(さぎ)、翡翠(かわせみ)、雀(すずめ)、雉(きじ)が葬儀を手伝って、八日八夜歌い踊り死者を弔いました。死者の鎮魂をとても大事にしていたことがわかりますね。

鳥たちが葬儀を手伝ってますが、霊が鳥となって天に上る、または鳥達によって彼岸に運ばれるという古代信仰を表しているのでは無いかという説があるそうです。

このような葬式の歴史というものに触れることは実際少ないとは思いますが、感慨深いものを感じます。また横浜市にあるひかりの杜のHPでは歴史や知識に関するブログが書かれていましたのでご参照してみてください。

農村社会

日本古来から、農村では直系男子が家督を相続して、3世帯が大きな家に暮らしていました。また親戚や周囲の家と、共同体の中で講という制度を作り、共同体として暮らしていました。葬儀の際には、親戚が実務を取り仕切りって執り行ったそうです。今でも田舎のほうでは講の制度が残っているところがあります。

檀家制度

鎌倉 時代に入ると 檀家制度が始まり、江戸時代には、政治的な都合により、寺と民の関係は強くなり寺請制度という制度となりました。お寺が役所の替りをして、戸籍を管理していたので、「一家一寺」といわれほとんどの葬儀は檀那寺が取り仕切るものとなりました。

明治時代に入ると、神仏分離令 ・廃仏毀釈 で檀家制度は江戸時代よりは減りましたが、いまでも家々と寺は檀家制度で結びついている地域は多くあります。また田舎のほうでは講がある地域もあります。

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